私がとらわれていた「しなきゃ」
お金を稼がなきゃいけない。
さらに深掘りしていくと、特に自分自身に対して「お金、稼ぐ力=その人の力、その人の価値」のように思っているところもあると気づきました。そんな訳ないでしょ!と理性では思うものの、潜在的にそう思っている自分がいる。
また、お金を稼ぐ→仕事について。
仕事は、苦しいもの。
苦しまなきゃ(いけない)。
細分化していうと、
自分を犠牲にして、仕事しなきゃいけない。
辛いことをして、働かなきゃいけない。
仕事をする人は自分も含めて皆、苦しい思いをしている。(しなきゃいけない)
こんな「しなきゃ」を潜在的に抱えていたら、仕事なんかしたくなくて→お金も得られなくて→そんな自分には価値も力も無い という思い込みに繋がっていくのも無理はない。
仕事が辛いもの、不自由なものというのは、わたし自身のサラリーマン経験から感じていることで、集団の中で多くの人に蔓延して、広く浸透している「しなきゃ」だとも感じています。
また、私の両親は祖父母と同居の共働きのサラリーマンでした。家庭内は仕事第一の雰囲気で、子どものころの私は、仕事をする両親が大変そうに見えて、特に母には気を遣って、あまり無理を言わないようにしていたのを覚えています。
大人になった今思うのは、母は、フルタイム正社員で働かなきゃいけなかったのかな、という事。母は何度か身体を壊したこともあり、もっと家のことや子育てにシフトしてくれてもよかったのではないかと思い、今聞いてみると、家には祖母もいたし、外で働いているほうがよかった、お金も稼げるし、との事。確かに、祖父母がいて、両親が働いてくれたおかげで、私は金銭的に何不自由無く育てて貰えました。
辛くても仕事をして収入がある限り、お金の不安は軽減します。私自身、サラリーマンで、収入があることで、お金があることで体験できた様々なこと、貴重な思い出が沢山あります。冒頭の、お金=力 というのは、自分で稼いだお金でやりたいことを実現できたことから、そう感じるようになったところもあると思います。
お金のために、辛くても我慢して働かなきゃ。
つまるところ、こういうことなのでしょう。両親のこと、自分のこれまでの経験から、こんな「しなきゃ」があると気づきました。
でもそれって、なんか拗らせてないでしょうか。
幸せに生きるために、お金が必要なのでしょう?
幸せで、豊かに生きるのに、わざわざ苦しさや不自由を対価にする必要があるのでしょうか。
幸せに生きるために、辛いこと、苦しいことをする。
幸せに生きるために、不自由。苦しむ。
・・・・・・。
もっとシンプルに、まるっと、
幸せであるから、幸せである。
幸せなことをしているから、幸せである。
自由で豊かで、幸せ。
人生まるっと、幸せ。
そう生きられないでしょうか。
そう、生きる。