未来、知りたいですか?
ここのところ、西洋占星術ホロスコープの学びにはまっています。
初級のオンライン講座を受けつつ、こちらの書籍も読んでいるところ。
サイン、ハウス、惑星、アスペクト...
学ぶことは、広くて深い。
2023.2.20のホロスコープ
まずは、ネイタルチャートという自分が生まれたときのホロスコープを読む。
自分の資質や対人関係、お金を得る方法、結婚相手との関係、両親との関係、、など人生における「わたし」の様々なことが読み取れる。
特定の時期に起こることを知りたいときは、それに加えてトランジットチャートを併せて読むことになる。その時の惑星の動きが、自分のネイタルチャートの惑星とどのような関係にあるかを読み解いていく。
サイン、ハウスの盤の上の惑星の配置。
盤の上での惑星の移動と影響。
それを見て、感じ取っているうちに、以前『人生に起こる出来事は無意識下、「無」の領域のプログラムが発動し、現象化したものである』と聞いたことが思い出された。人それぞれに定められた盤と惑星の共鳴、シンクロニシティによりプログラムが発動する。現象化する。
その鼓動が感じられるようである。
学び始めて感じることは、この学びは侮れない。覗いてはいけないものを覗いているような畏怖に近い感覚を常に感じている。
基礎知識を学んだうえで、多角的に見ること。読み手によって解釈が異なることも当然あるだろう。そこが読み手の妙でもあるのだが。
占術というのはどれもそうなのだろう。
広く、深いものであるゆえに、生半可な知識で分析することは、無駄に迷いと害悪をもたらすのではないかと思う。
それから、わたしが大きく戸惑いを覚えているのが、未来を占う「未来予知」ということだ。
未来、知りたいですか?
わたしは、世界レベルでの大きな未来予知ならともかく、自分個人の未来云々について、あまり知りたいとは思わない。
先々に、〇〇が起こる、と聞いたとすると、それが良いことでも、悪いことなら尚更、そこに気がとられてしまい、「いま」がなおざりになるのが嫌なのだ。
不確定な未来について考えることは、希望もあるが、不安の大きさには負ける。
未来について、あれこれ探ることは、いま、にとって良いことなのだろうか。
もし、未来予知をするのなら、それが良くないことなら、ここでこうすれば防げる、などのフォローまでできるだけの読み解きが必要だと思う。そうでないと、起こるかどうかもわからない災厄だけを告げられて終わり、という、不幸を貰いに行っただけ、ということになってしまう。
わたしは常々、oshoタロット怠惰と無為の境地は違う - 海と愛で「いま」の自分と状況をみているので、未来予知の感覚になれないのかもしれない。
未来を読むこと、読もうとすることが怖くて、この学びをやめようかとも思う。やめてもいいと思う。
ネイタルを読むことまで、何か自分を制限するような気になってきて、嫌になる。
でも、ホロスコープの世界に惹かれている。学び続けてみようと思う。
未来を読むということはどういうことなのか、理解はできるだろうか。(でも、あくまで今、だよなぁ、、と頑固)
最近、oshoタロットでも、変容のカードが頻繁に出る。いま、冥王星の影響を無意識下に感じているのかもしれないと思う。
今回は、書いていてとても筆の重いブログになりました。。
また、占星術について書きたいと思います。