海と愛 

日々の暮らしと思うこと

神さまの視点

 

 先日、散歩していたとき。

 チャコールグレーの荒いコンクリートの歩道の上に、クリーム色のつやつやした柔らかそうなものが落ちていた。

 なんだろう?と思いながら近づいていくと、まるまると太った何かの幼虫でした。

 4センチほどで、ひっくり返っているのかどうなのか、上も下もわからない。ただ、もがいている。

 なんで、こんなところに⁇

    野鳥に捕まって運ばれる途中、嘴から滑り落ちて、ここに着地したのかしらん、、、

 だとしたら、まるまるつやつや、太っていてよかったね。

 

 幼虫は何処かへいこうともがいているものの、芋虫のようにスムースに進まない。

 このままほおっておけば、誰かに踏まれてしまうだろうし、鳥にまた見つかるかもしれない。

 そばに落ちていた枯枝で歩道脇の落ち葉と土のある場所に移すことにする。

 私とて、気持ちの良い救出作業ではないけれど、目の前のいのち、放っておくわけにはいかない。

 

 枝2本で幼虫を挟み上げようとするが、重量があるからか、なかなか大変で上手くいかず、枝でソフトに転がして移動することにする。

 その日はお天気も良くぽかぽかしていて、幼虫はこのままお日さまにあたっていたいかなと思ったけど、枯葉に触れると、その下に潜ろうとして動きが活発になったので、やはり土のある場所に移動しようと思う。

 

 幼虫をソフトに転がして、枯葉と土のある場所までたどり着いた。もとの場所から1メートルくらい離れたところ。

 幼虫は身体を固くCの字にしていて、大丈夫かな、もう大丈夫だよと思いながら見守るうちに動き始め、枯葉の下に潜っていった。

 

 わたしはまったく興味がない、Dが大好きでよく見ているかぶと虫の飼育動画を思い出した。幼虫は土を食べるって言ってたっけ?

それならこれでよかったかな。

わたしは芋虫、ワーム系が大の苦手なので、これが芋虫くんだったら、ごめん、スルーしてたかも。チラ見とはいえ、YouTubeで幼虫を見慣れていてよかった。

人生、どんなところでどんなことが役に立つかわからないものである。

 

 それから。

 もがいている幼虫くんを見て、枯枝でどうにかしようとしていたとき、わたしは、自分がまるで神さまになったような、神さまが下界を俯瞰するような視点を持つ感覚になった。

 助けてあげたいけれど、幼虫くんがどうしたいのか、どこに行きたいのか教えてくれないと、手出しのしようがないよ。

 

 幼虫くんは、わたしに転がされて、望むところ(おそらく)にワープした訳である。

 人間も一緒かな。

 神さまはぼやいてるのかも。

『 あなたがどうしたいのか、

 どうなりたいのか、

 どこにいきたいのか、

 はっきりしてくれないと、

 手出しのしようがないよ』