怠惰と無為の境地は違う
この間の寒波の折、雪かきをしました。
雪って重いんですよ、、 改めて思いました。
スコップで何往復もしながら雪を運びました。
雪かきをしているとき、いろいろなことが頭に浮かび、いろいろなことを思いました。
家の前の駐車場を雪かきして、一時間。
家の前がひととおり終わり、前の道路は轍ができているし、やらなくても大丈夫だろうと思っていました。・・・が、私の車では出られなかった。。。
道路もやらなくては。。。
でも、明日からはもう雪も降らないし、やらなくても自然に緩んで溶けていくだろう。
やらなくていいや。
そう思いながら家に入りました。
ご飯を食べて、休憩していて。
さっき雪かきをしながら頭に浮かんだこと、感じたことが思い返されて。
なんだろう、、どういうこと??
わたしはこんな風にモヤモヤしたとき、自分を内観するのに、また、状況を俯瞰して見るためにタロットをよく使います。
タロットというと未来や相性を占う道具というのが一般的ですが、わたしが相棒にしているのはosho禅タロット。占いというよりは、いまここの自分を内観するためのタロットです。自分の内面をタロットに映して見る、そんな風に表したいと思います。
タロットには解説書もついていて、各カードの意味と覚者であるoshoの言葉が掲載されています。リーディングはこの解説書の域にとどまらないのですが、それでも基本はこれ。解説書に戻って読み返すことはよくあります。
それで、今回のことでカードをひいてみると、
出たカードは「怠惰」と「変容」でした。
わぁ~出た!やっぱり!と、不思議と図星に思う自分がいます。
今回のリーディングでは、「怠惰」のカードについてのoshoの言葉が響きました。
「怠惰」
怠惰なときは、否定的(ネガティブ)な味がする。あなたはただ、自分にはエネルギーがないと感じる。ただ、だるい感じがする。ただ、眠く感じる。ただ、死んだような感じがする。無為の境地にあるときは、あなたはエネルギーに満ち溢れている。それは非常にポジティブな味だ。あなたはエネルギーに満ち溢れている。光を放ち、高揚し、脈打っている。眠くは無い。完璧に醒めている。あなたは死んではいないのだ……素晴らしく生きている。心(マインド)があなたを騙す事はあり得る。心(マインド)は、怠惰とは無為のことだと理屈で解釈することはできる。心は、「私は禅のマスターになった」とか「私はタオを信じている」と言うことはできる。だが、あなたは誰か他の人を騙しているわけではない。あなたはただ自分を騙しているに過ぎないだろう。だから、油断せずにいるがいい。
この間、特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」 - 海と愛 の記事の中で、自分が大きな流れの中にいるような感覚にいる、と書きました。
その中での自分は?自分はどうか。
怠惰なのか、無為の境地なのか。
ネガティブで、エネルギーが無く、死んだように感じている状態なのか。
それとも、エネルギーに満ち溢れ、高揚し、醒めているのか。
・・・・・。
そして、「変容」のカードは(大アルカナ、大いなる流れとして)もうそういう「怠惰」な在り方は終わり。おやめなさいね、ということ。
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その後。
現実的な対応として、今のわたしにできること。やること。
道路の雪かきをしました。
心を燃やしてやりました。
また一時間、かかりました。
雪かきしながら、何かが分かった。
あのカードをひいてわかった。
次の日は、思いのほか雪が緩むような天候ではなく、道路の雪かきまでしておいてよかった、ということになりました。
Dに雪かきを頑張ったことを話すと、「いい運動になったのでは?」と。
確かに。雪でおこもりだったから、いい運動になった。あれだけやったのに、たいして筋肉痛にもなっていないし。
「怠惰」のカードが示したのは、ライトな意味では「雪かきやりなよ」ということだけれど。
それにもまして、わたしが得たのはあの気づき。変容のカードが相まって感じたこと。
無為の境地の高い波動に在るとは、
それは無理に自分を煽りワクワクさせるような躁的な状態ではなく。
そういう表面的な状態ではなく、もっと何かに根ざしたものなのでしょう。
芽生えたこの感覚を育てていこう。
(2023.3追記)
osho禅タロットリーディング承ります(有料)。
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umitoailove@gmail.com