自然に流れるもの
(辛かった)体験や感情を、すぐに何かに「使おう」とする人の姿勢を見て、???となった。
体験や感じたことって、(ひとまずでも)そのままでいいんじゃないかな。
受けとめている。 感じている。 そのまま。
そこから自然に展開していくことはあっても。
やたらとポジティブ(と本人が思う)方向に転換、意味づけしなくてもいいんじゃないかと思う。
自然に流れることをコントロールしたい、恐れがあるんだろうな。
思い、感情。自分の中のことであっても。
少し具体的にいうと、死や災害についての話だったのです。
当事者ならまだしも、外野にいて、それはこうですとかああだとか、意味づけ、解釈しようとする。講釈垂れる。
その事象から感じることは、その人それぞれで、とても繊細なことなのに。
何より、それを感じているのは、あなたではなく、当事者その人なのに。
それをああだこうだと講釈垂れて振り回すような、いささか躁気味で、いつも挑戦的なその人の姿勢を見ていて、なんだか的外れに感じて苦しくなってしまったので、そこから感じたことをつぶやいてみました。