忍耐〜楽しみに待つ〜
楽しみなメールの返事を待つ。
LINEの返信を待つ。
わたしは小学生の頃、エアメールも含めた文通をしていた。
今思い返すと、返事をどんな感覚、間隔で待っていたのだろう。
あの頃は、手紙しか無くて、相応の期間がかかるのが当たり前だったから、待つ感覚も然り…だっただろうと思う。
いまは、メールもLINEもコメント返信も、即!に近い感覚。
自分の勝手な時間感覚、設定リミットまでに来ないと、余計なかんぐりが自然に湧く。
既読、なんて素晴らしいサービスの副産物。
わたしが欲しいのは「返信」なのか、その中身なのか「中身のこもった返信」なのか。
ともあれ、中身を求めるもの程、タイミングというものがあるのだろう。
「忍耐」という言葉の意味を「辛いことや嫌なことを我慢して耐え忍ぶ」から「楽しみに待つ」に変えた。
別に「忍耐」という言葉にそれをあてがわなくても良いのかもしれないけれど。
相手からの返信を楽しみに待つ。
春を待つように。
編み物をしているときのように。
手紙のときはそうだった感覚。
メールでも持てたら、それは幸せな時間になるのでしょう。
よしんば、それが来なくても。
自分の思いどおりじゃなくても。
文通の終わりは覚えていない。
傷ついたり嫌な記憶は無いから、ごく自然に終わったのだと思う。
やさしい時間に包まれたことは、淡い思い出を残して、季節が変わるように自然に変化してゆく。